2019.03.13 Wednesday

宮大工「西岡常一」・・・再録

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    本編は2012年6月3日分を再録したものです。

     

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    宮大工「西岡常一」

     

    宮大工という言葉は木工を志す職人にとって特別な響を感じさせられます。
    職人の頂点といった趣きです。


    その中でも「西岡常一」は「法隆寺の鬼」と呼ばれた宮大工棟梁で、我々の年代50代以上の木工職人・建築関係・お寺さん関係では知らない人はもぐりだと思われるくらい有名でした。


    「でした」と書くのはその下の年代の方は、西岡棟梁が亡くなられてから仕事に就かれた方で、氏を知らない方が多くなったと実感するからです。だから過去形になります。


    なぜ西岡棟梁が有名だったかと改めて考えてみると、法隆寺大工棟梁としての腕はもちろんのことですが、法隆寺の昭和大修理や薬師寺伽藍復興の中で文部省の役人や大学の教授・学者との丁々発止の論争をし、テレビや新聞でよく取り上げられていたからです。


    権威の方々を相手に一職人が頑としてその信念を曲げない様に、多くの職人が溜飲を下げる思いで見守っていたから、記憶として鮮明なのでしょう。


    「木のいのちのことは、大工が一番知っている。」
    この信念が絶対のものとして西岡棟梁を貫いていました。


    代々の棟梁としての口伝も、聞き書きや著書などで惜しげもなく披露しています。その仕事の全ぼうも多くの本で読むことができ、職人に職人たるや何をすべきか、伝えてくれています。


    山崎佑次著「宮大工西岡常一の遺言」が1995年に亡くなった氏について書かれた最新の本になるかと思います。


    その中で次代の職人へのメッセージが語られています。


    「棟梁というもんがあってその下に集まってる人は、思い切って仕事をやれ。間違えば棟梁が腹を切るんだから、これ以上できんという仕事をやってもらいたい。」


    「道具を上手に砥げても腕前が足りんといけません。それには魂を込めて研ぐ。上手とか下手を通りこして、これ以上は砥げんというぐらいに砥げということです。」


    「功利的ことを考えずに、時間がかけてもいいから、本当の仕事をやってもらいたい。ごまかしやなしに、本当の仕事をやってもらいたい、そう思います。」


    恥ずかしくなるばかりです。
    命がけの仕事をする人のありさまを前に小さくなっていく自分が解ります。


    この本の著者は西岡棟梁の死を「美しい日本」の死、と表現していますが、米代の心配をしなくなったのは還暦過ぎといい、宮大工の仕事がない時期も民家には手を出さず、田畑を耕し自給自足し、仏の道を歩き、いざ仕事となれば鬼となって木のいのちを生かす、本当の職人、本当の日本人が終焉になることを認めています。


    そうかも知れません。


    「ワシなんかたいしたことはない。本当に凄いのは飛鳥時代の工人です。」と語る西岡棟梁。
    代々の工人・職人はそれが普通だったのでしょうが、現代ではそういかん、とつい言い訳したくなります。


    職人なんて言葉は死語になりつつあります。職人になりたくても職人を生かす仕事がありません。
    また、「現代の匠」などという言葉は技術だけを指し、「木のいのち」を見る慧眼を持つ人を指す言葉ではなくなりました。


    大変な時代です。



    「これ以上は砥げんというぐらいに砥げ」何事にも通じますね。

     

     

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    2019.01.21 Monday

    「ユーミンのSUPER WOMAN」を観て。・・・・・再録

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      沖縄の辺野古の海が埋め立てられようとしています。美しい沖縄の海はカミの領域です。

      そう感じた20代の記憶を「ユーミンのSUPER WOMAN」を観て書いたブログを再録してみます。

       

       

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      本編は2012.09.08分を再録したものです。

       

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       昨日の晩NHKの番組「ユーミンのSUPER WOMAN」を観ました。
      沖縄の孤島「久高島」を編集者・軍地彩弓(ぐんじ・さゆみ)さんと共に訪れていました。


      久高島は「神の島」として知られています。祖神アマミキヨが最初に降り立ち国造りを始めた地であるとともに、「ノロ」と呼ばれる(「巫女」と訳される)神官さんが祭りを司る秘儀「イザイホー」があるからです。


      ユーミンは、最後の「イザイホー」の「ノロ」であった女性に島を案内されるのですが、双方とも自然な打ち解けた出逢いであったことを吐露する場面は、感動的でした。


      私も20代後半に久高島を訪れています。島内をうろうろと歩き回った記憶があります。
      島内にはイザイホーを行なう神聖な男性禁制の場所「フボー御嶽(うたき)」があり、男性がうろうろしちゃいけない所なんですが、当時それは知らなくて次の渡し船がくる間そぞろ歩き。砂浜で珊瑚のかけらを拾ったりして後日ネックレスを作ったりしました。


      「沖縄に住めないか」と思っての旅でしたが、友人が喜納昌吉( チャンプルーズ)のコミューンみたいなところにいて、それを頼りに沖縄内を巡ったのです。


      ウチナーンチュの案内で斎場御嶽(セーファーうたき)にも連れて行ってもらいました。神聖な場所ですが、サトウキビ畑横の細い参道を入って行くだけの入り口で、少々驚きました。もっと仰々しい入り口だと思ったからです。


      神聖な場所も特別距離を置かない沖縄の人の自然観を感じました。
       

      当時、 現代詩の伊藤比呂美と社会学者の上野 千鶴子の往復書簡「ノロとサニワ」が出版されていて、本の題になった「ノロ」や「サニワ」に興味がありました。霊魂の真偽を見分ける人の審神者(サニワ)と恐山の「イタコ」との違いはよく解りませんでしたが、「ノロ」には静かな感じを受け共感を持っていました。


      スピリチュアルブームで学者もその手の言葉を発していました。
      天河大弁財天社(てんかわだいべんざいてんしゃ、天河神社)に宗教学社 中沢新一とYMOの細野晴臣が訪れたりしていましたね。


      結局、私は海の近くより山の近くに住むことを選びましたが、これも結果論でしてどこでも「住めば都」と言えます。


      沖縄のモーレツな印象は、ほかに「カメヌクー」と呼ばれる大きなお墓と米軍基地。
      基地の中央を延々と続く国道を走るとその異様さは際立っていました。


      どう考えたって沖縄にあれだけの米軍基地は変ですね!


      ニライカナイ伝説の郷・琉球王国だった「沖縄」。
      海の民には領海なんて存在しないのです。

       

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      2018.12.20 Thursday

      レインボーマン!  ・・・・再録

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        本編は2013年 8月分を再録したものです。 

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        レインボーマン!

         

        仏教についてあれこれ思っているとき、頭の中で「ダ〜イダラ ボッチの魂やどし〜」と鳴っているので何だろうと考えていました。


        アメソン?


        最初、「バロムワン」だと思って検索して見たのです。どうも違っていました。
        友情のバロメーターが上がって、バロムワンに変身するあのヒーローはB級特撮の戦隊ものでしたね。
        車がかっこよかった、と うろ覚えしている番組でした。


        次に検索して引っかかったのは、「レインボーマン」。むむむ・・あまり覚えていないけど、なんだか怪しい化身が次々に登場してきます。そう言えば観ていた気もする。今見ると忍者赤影にも似ている。


        インパクトがある番組に間違いなさそうです。主人公の名前が「ヤマトタケシ」で古事記の「ヤマトタケルノミコト」のようもあるし、化身のいでたちは「日本神話」風であります。


        それでいながら、インドの聖者「ダイバダッタ」に学び、「あのくたら さんみゃく さんぼだい(阿耨多羅三藐三菩提)」とお経も唱えるという設定。


        因みにダイバダッタですが、お釈迦様のお弟子さんですが、反逆者の烙印を押されてしまいましたね。ただこれはキリストの弟子のユダと比較してこう烙印されたのはないかと私は思っていてます。


        また、化身はレインボーの7変化しますが、陰陽五行の木・火・土・金・水に月と日(太陽)を加えてあります。陰陽五行は古代中国の思想ですので、本来ならインドの思想・五大の地・水・火・風・空に何かを加えていく方が自然でしたね。無理無理一週間の7日(7曜)にしたかったのでしょう。


        レインボーマンと英語名(?)も時代でしょうね。ヒッピー風の感じがします。


        B級特撮につっこみ入れるのも何ですが、これが全国放映される時代とは、平和な時代だったと言えるでしょう。


        それにしてもアニメソングはすごいですね。いくつになっても記憶の片隅に残っているくらいだから。


        ウルトラマンシリーズの円谷プロが50周年だそうで、新聞にもウルトラマンは最近登場しています。こうしたA級の影で「レインボーマン」とか「バロムワン」が短い時間枠でインパクトのある作品を残していったのです。


        「あのくたら さんみゃく さんぼだい(阿耨多羅三藐三菩提)」は「般若心経」ですから、当時の子供たちに仏教を身近にさせることに成功したかも知れません。

         

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        2018.11.24 Saturday

        J・Jと蛙(植草勘一と青山二郎) ・・・・再録

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          本編は2013.06.02 Sunday搭載分を再録しました。

           

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            J・Jと蛙(植草甚一と青山二郎)

           

            


          J・Jこと植草甚一と「人がみたら蛙になれ」の青山二郎は似てないかなぁ、と勝手に想像しました。どちらもその生き方は独創的で他に類を見ず、多くの方に影響を与えた点で、です。


          植草甚一氏は、私のちょっと上の世代には絶大な人気を博した編集者でジャズ・映画評家。雑誌ワンダーランドや宝島の編集で、サブカルチャーを認知させた功績は大です。雑学が雑学を越えたのですから。


          青山二郎氏は、骨董収集の目利きで有名でした。また装丁家の一面もあり、しっかりとした美意識の持ち主で、白洲正子の先生でしたね。


          どちらもお金持ちの子息で、生活に困ることない身分でしたが、生き様は「高等遊民」との総称がぴったりでした。深い知識と鋭い分析力を持って、今までにない道を切り拓いたパイオニアです。


          植草甚一が明治41年生まれ、青山二郎は明治34年生まれとありますが、7歳しか違っていないのか。明治生まれのモダンボーイ。大正・昭和初期・戦中・戦後を自分を変えずに行き抜いたと想像できます。


          それは簡単でないよなぁ。自由に生きるなんて簡単にできる時代でなかったろうに。そこを先達として貫いたから感度敏感な後世の「トッポイ人々」に影響を与え続けるのでしょう。


          かっこいい老人とくくってみたらいけませんが、写真は渋い感じが出てます。若い頃は「老人」でなかったのですから、晩年に評価が高まった訳ではありません。若い頃から、皆から一目置かれる存在でした。


          青山二郎は、柳宗悦の「民藝」運動に当初から関わり理論や鑑識眼を効かせておりましたし、自宅には、小林秀雄や三好達治ら文化人が集い「青山学院」と呼ばれていたりして、大正・昭和の文化史の裏舞台で大きな影響を与えた人物であることは間違いありません。


          私が青山二郎を知ったの白洲正子の著書からで、戦後世代は案外そういうケースが多いのはないでしょうか。


          植草甚一は、うわさは聞いていたけれどこっちが感度敏感になる頃には、亡くなられていました。ただ、雑誌「ワンダーランド」は本屋で手にとって見ていたり、「宝島」の過激な路線は若いときに影響を与えられましたね。


          (「宝島」の投稿コーナー「VOW」は、変なネタ満載で、市井のネタを写真付きで投稿するやり方は、現在のTV番組「ナニコレ珍百景」に受け継がれているのではないかな。)


          お二人がしっかりと確信的にお持ちなのが「美学」だと思います。
          それは、過去のどの日本人もお持ちにならなっかった「美学」です。それを生涯貫くことは困難なことですが、理解する知人にも恵まれ、お二人は「美学」を生き切られ一時代を築いた感があります。


          お二人の「美学」は、「美学」ゆえ後世の道標にもなりました。


          千利休はじめ「美学」が道をつくってきた歴史が、この国にはあります。
          これからどんな「美学」が生まれるか否か。それは、楽しみでもありますが、一方平均化してきた現代日本人の現状に鑑みて、一抹の不安も覚えます。

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          おまけ、白洲正子とオノ・ヨーコも似ているところあるなぁ、と思っています。

           

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